主演:高倉健、北大路欣也
ジャンル:戦争山岳映画
公開日:1977年
上映時間:170分
-こんな人にオススメ!-
✓これから登山をしようと思っている方
✓組織や団体のリーダーの方
✓有名作家の佐藤優さんも推薦
こんな人にオススメ!
明治期の国内最大の山岳遭難事件を描いた作品です。
この映画で遭難の原因となるのが直接的には自然の猛威ということになるが、
人為的に言うと、主演の高倉健さんは上司に楯突いてでも権利や義務を果たそうとしていたが、
一方、青森連隊長の神田大尉こと北大路欣也は、権利や義務を少しずつ他の者に移譲する事になり、結局、リーダーシップが発揮できなくなって、しまいには責任を放棄してしまって事件を大きくしてしまうという結果になるのです。
此の映画ではリーダーの大切さを思い知る事になり、監督や指揮者の重要性を改めて知る事になるのです。
従って、この映画を先ず第一にお勧めしたいには組織や団体となる監督やリーダーたちに見てもらいたいと思います。
又、山愛好者や山岳に趣味をしている方にも、自然の美しさの中には時には魔物のような怖さを含んでいる事を肝に銘じる映画でもあります。
簡単なあらすじ
明治時代の日露戦争の直前、青森(青森第5連隊)と弘前(弘前第31連隊)は、冬の八甲田山を歩いて踏破するために準備にかかる。
其れは、日露戦争開戦を目前にした明治34年末のことで、露軍と戦うためには雪や寒さについての寒冷地での訓練を目的としたものだった。
そいて隊長として選ばれたのは青森第5連隊の神田大尉(北大路欣也と弘前第31連隊の徳島大尉(高倉健)であった。
そして雪中の行軍隊は、お互いが青森と弘前から出発、八甲田山の山中ですれ違うというものであったが、・・・。
両隊は準備が整っていよいよ雪の八甲田の山中へ突入するが、この時空前絶後の大事面が発生する事になる。
其のときには間もなく猛吹雪と極低温が二つの隊を襲うことになり、隊員たちは・・。
映画の感想
私自身は首都圏に住まいを構えているものであるが、若い頃より山が好きで丹沢や八ヶ岳、更には北アルプスなどの山岳地を年中、彷徨していました。
無論、東北地方は飯豊山系や鳥海山、岩手山などの100名山にも登ったことがあり、東北の最北部に当たる八甲田山にも、初めはロープウェイを利用して、そこから毛無岱方面の湿原を縦断して、あの有名な酸ヶ湯温泉まで下ったことがありました。
元より、八甲田は八甲田山系を言うのであって、其れ事態の山名はなく連峰其々の峰々を総称して付けた名前なのです。
この北の果て、八甲田の山域で明治時代において世界的にも山岳史上にも、例がない程の大きな山岳遭難事故が発生したのです。
1902年の明治35年1月、青森歩兵第五連隊は来るべきロシアとの戦争に備えて、耐寒寒地訓練のため、雪中の行軍と称して八甲田の山中へ分け入ったのです。
ところが当時の天候は、厳冬期の真っ只中であり、またまた丁度この時期にやってきた大寒気と低気圧による猛吹雪によって、青森歩兵第五連隊は行き深い酷寒の山中で、三日間に亘って立往生し、ハタマタ彷徨、さ迷いを繰り返しながら、遂に199名の犠牲者(凍死者)を出す大惨事となったのです。
映画は、新田次郎現原作による“八甲田山死の彷徨“を基にして作られ、高倉 健や北大路欣也の出演の映画・八甲田山で、当時の様子をリアルに再現したようになったが良かったです。
内容としては、日露戦争を目前に控えた明治期の陸軍の様子や雪中行軍は元より、北部における東北の農村の様子なども再現され、その時代の雰囲気や生活や習慣まで描き出していた。
又、原作ではよく分からなかった軍隊の寒中装備等についても映像として目にすることが出来た。
更に画面では、主演の高倉 健卒いる弘前第三十一連帯の威勢の良い軍歌・“雪の進軍”も聞け、映画ならではの迫力が充分伝わってきた。
因みに、この時期の1月25日の天気は、北海道の旭川市においてマイナス41度という、日本における最低の気温を記録した日でもあった。
そして、この記録は現在においても、依然として破られていないのです。
前記したが、山岳小説家、歴史作家としても知られる御存知の新田次郎の原作である「八甲田山死の彷徨」をもとにしたものであります。
大部隊で自然を克服しようとする青森の部隊と小数精鋭主義の部隊で自然に逆らわず、折り合いをつけようとする弘前部隊の対比や当時の様子を、東北の青森の冬の八甲田山を舞台に描いたものである。
元より、冬の青森といえば日本海と太平洋、其れに津軽海峡という海域に囲まれて地域でもあり、それによって雪の多さは元より日本一の豪雪を誇る地域なのです。
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